オクイチの日記

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楽しく読める!ヒトラーの『我が闘争』1

【序言】

私の名前はアドルフ・ヒトラー

オーストリアで生まれ、1924年で35歳になる。

そんな私がこの年、ドイツで革命を起こそうとした。俗にいう「ミュンヘン一揆」である。この革命は成功するかに見えたが、裏切りもあり、私の計画は失敗してしまった。

裁判所で禁固刑の判決を下された私は、レヒ河畔のランツベルク刑務所に服役することになった。

そういえば、私が長年活動してきた内容や私の考えを多くの人々が知りたがっていたなぁ。しかし、私はずっと党の演説家として活動していたので、そんな余裕はなかった。刑務所に服役することにはなったが、幸運なことに、その時間を確保することができた。さらにこの時間を使い、私の考えをまとめることができると考え、私は初めて本を書いてみようと思った。

本は二巻構成にし、我々の運動の目標を明らかにするだけではなく、我々の運動の発展の姿も記そうと決心した。こうした方が単純な理論だけを書いている難しい論文よりも、多くのことを学ぶことができるだろうと思ったからだ。

さらにその際私は、私自身の生い立ちを、第一巻と第二巻の理解に必要であり、またユダヤ人が発行した新聞に書いてある私個人に関する嘘偽りを暴く助けになると考え、少しばかり述べておいた。

私はここでこの本を、私を知らない人々ではなく、心からこの運動に従い、この運動で得た知性を用いて、心から啓蒙を求めている私の支持者に向けて書きたいと思う。

人々を説得するためには、書かれた言葉ではだめだ。話された言葉の方が人々を説得できるのである。これは世界の偉大な歴史の出来事を見れば一目瞭然だ。これらは、偉大な文豪家ではなく、偉大な演説家によって達成されている。

では、私が今、書こうとしているこの本は意味がないのか?

安心してほしい。私はこのことを十分に知っている。

もちろん、本当は私自身が話した方がいいのだが、私の人生はそんなに長くはない。私の考えが忘れ去られないためにも、私の考えを規則的、統一的に伝えるために本を書く必要があるのだ。そのため、この二巻をこれから行う様々な活動の基礎として作り上げたいのである。

(続く)

 

(ブロガー解説)

ヒトラーが起こした「ミュンヘン一揆」はドイツでは国家反逆罪にあたり、普通なら死刑である。

その後のミュンヘン裁判はヒトラーの巧みな演説が全国に知れ渡ったきっかけにもなった。

私はその演説の中で心に響いたものがある。

「11月の犯罪者の革命は処罰されず、真のドイツを取り戻そうとする革命は処罰されるのか?」という言葉だ。

ドイツは第一次世界大戦で敗北したが、国民の中には「共産主義者の革命によってドイツは敗北したのだ。」という考えが特に右翼や軍部に根強く存在した。

革命を起こした人たちを革命がおこった月にちなんで「11月の犯罪者」と呼び、この陰謀論を「匕首伝説」という。

「ドイツにとって悪い革命は罪に問われず、真のドイツを取り戻そうとする革命は失敗したことで処罰されるのか!」というヒトラーの主張に同感した人は多くいただろう。

「書かれた言葉より、話された言葉の方が人々を説得できる」という考えに注目してほしい。このことから、ヒトラーは論理的に演説するのではなく、感情的に演説することを意識していたのが分かる。

皆さんも似たような出来事があるのではないか?

「私の人生はそんなに長くはない」と書いてある通り、ヒトラーは自分の健康を非常に心配していた。菜食主義を徹底し、酒とたばこもほとんど嗜まなかった。第二次世界大戦が勃発する前に遺書を書いていたことから、ヒトラーは心配性であったといえる。

 

【参考文献】

我が闘争(上)Ⅰ民族主義的世界観』アドルフ・ヒトラー(平野一郎・将積茂 訳)

平成10年出版、角川書店(文庫)3~4ページ