オクイチの日記

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楽しく読める!ヒトラーの『我が闘争』3

【同一の血は共通の国家に属する】⑴

ドイツ民族は、自分の同胞(=オーストリアに住むドイツ人)を、共通の国家(=大ドイツ)に包括することができない限り、植民地政策をする権利を持たない。ドイツ国の領域が、ドイツ人の最後の一人にいたるまで収容し、かれらの食糧を確保することができなくなった時にはじめて、自国民の困窮という理由から、海外領土を獲得する権利が生じるのである。その時に鋤が剣になり、戦いの涙から後世のために日々のパンが生育してくる(=戦争で勝利し、食料を確保することができる)。だから私には、この小さな国境の町が、大使命のシンボルであるように思える。

しかし、なお別の観点からしても、この小都市は今日注意を引き付けるようにそびえている。

【以下要約】(今から百年以上前に国家主義者であったヨハネス・パルムが、この地でドイツのために倒れたのである。パルムは同じ仲間であった政府官史に裏切られ、フランスに密告されたのである。)【終了】

このドイツ的殉教の光によって美しく照らされたイン河畔の小さな町に、血統はバイエルン人、国籍はオーストリア人である私の両親が、前世紀の十八世紀の終わりに住んでいた。父は義務に忠実な官史であり、母は家政に専念し、ことに我々の子どもたちにいちも変わらぬ愛情深い世話をしてくれた。この当時のことは、わたしの記憶にはあまり残っていない。というのは早くも数年後、父はイン河を下って、バッサウで新しい地位に就くために、この好ましい小さな国境の町を、もう一度離れなければならなかったのである。かくしてドイツ国内に来た。

 

(ブロガー解説)

いろいろと難しいことがかかれているが、要は「ドイツとオーストリアは再合併されなければならない!」と繰り返し言っているだけである。

第一次世界大戦に敗北したドイツは海外の植民地を奪われた。ヒトラーはその植民地を奪還する前に、まずはドイツ人が生活する地域を統合しようと考えたのだ。

ヒトラーには多くの兄弟がいた。長男のグスタフ、長女のイーダ、次男のオットー、三男のヒトラー、四男のエドムント、次女のパウラの順に誕生した。しかし、ヒトラーとパウラ以外は、幼くして病死した。ヒトラーが母親からの深い愛情を感じたのも、立て続けに子どもを亡くした母親の気持ちを考えれば分かるだろう。

ヒトラーの家は引越を何回も繰り返した。幼いころに引越を繰り返すとその人の生活に影響を与えることはあるだろう。

ヒトラーの幼少期に関する資料は皆無といっていい。

我々は想像する事しかできない。

 

【参考文献】

 『我が闘争(上)Ⅰ民族主義的世界観』アドルフ・ヒトラー(平野一郎・将積茂 訳)
平成10年出版、角川書店(文庫)22,23ページ

『写真でたどるアドルフ・ヒトラー:独裁者の幼少期から家族、友人、そしてナチスまで』マイケル・ケリガン白須清美訳)

2017年出版.原書房